中文 English Korean
山東概況 山東経済 山東の旅 山東の文化 山東と日本 最新ニュース フォトニュース
 山東の文化


文化と芸能


山東省の伝統芸能のなかでは、地方劇と民間芸術が特に独特な風格を持っている。春秋戦国の時代、斉と魯の両国からは雑技という民間娯楽が出てきた。蹬技は山東雑技の重要の一項である。北宋の時代から、民間に説唱という芸術が出てきて、山東省地方劇は三十五、六の種類もある。また山東省の民歌、民間楽器と民間舞踊も特に豊かで、民族民間舞踊も210余種ある。山東省の美術歴史が長くて、中国絵は山東省で幅広く流れている。年画(新年祝いとして飾る多色刷り細密画)も山東省の伝統的絵画出って、民間の木刻年画は清の時代からも非常に有名になってきた。

劇曲、音楽

文化が発展し続けていたうちに、山東省の民間芸人は「山東味」の芸術形態を創造した。本地の伝統的な文化から各種の劇曲、説唱、音楽、舞踊などを育てられた。その中に、何十数の劇曲類も流行っていた。中国劇曲界でよく賛賞されてきた「南昆、北弋、東柳、西梆」四つの古劇のなかに、「東柳」が山東省の柳子劇である。
呂劇は山東省の代表的な地方劇であり、その各地で流行されている。民間の説唱を土台にして発展された呂劇は、メロディが単調かもしれないが変化に富んでいて、そのせりふも分かりやすくて、節回しも飾り気がなく派手でもない。伝統的な呂劇は民間の伝説や昔話などから取材され、ごく普通の大衆の日常生活を反映されている。その内容は家庭倫理、風土人情などを表現するのである.多くの劇は物語性が強くて、筋が綿密で生き生きしていて、ごく生活性が富んでいるのである。清の時代に有名な作家劉鶚は『老残遊記』という本の中に、山東の民間楽器である琴瑟合奏を聞いていたときの心の衝撃さをこのように描写されていた。
山東省では、民間楽器は源が長くて、流れも長い。かつて山東省から中国全体まで非常な勢いで広く流行っていた古琴、古筝、しょう、塤ないし管子、擂琴など、いままでも、のどかな旧韻をなき訴っている。山東省内の民間楽器には、民間音楽、宗教音楽及び祭祀音楽などからなっている。音楽の楽種から見れば、主に鼓吹曲、打楽曲、弦楽曲などがある。鼓吹曲は山東省で最大の曲種のひとつで、チャルメラと管楽器などがある。長い歴史を持っていて、主に魯(山東省の略称)西南、魯中南、魯北、魯東など四つの流派が分かられて、その代表的な曲は『百鳥朝鳳』、『花輿を担ぐ』、『県賓を集まる』などがある。打楽も山東省の代表的な楽曲であり、それは娯楽性を持っているうえに、実用性も大きい。当地の民間の活動とよく適応しているとともに、ほかの芸術形式にもあいまっている。博山、青州、徳州、濱州のどにある打楽曲は、臨清の架鼓曲とも山頂省内でいたるところで流行されている。
山東省の民間楽曲が5000あまりに達し、大衆の知恵がこられていたこれらの楽曲は、その特有な魅力で今日まで流れてきた。山東民楽は堅実である済魯文化の土地から育てられてきたが、その独特な文化的薀蓄を持って、ずっと流れていくと考えられる。
山東民楽の代表作『百鳥朝鳳』(ダウロンドしてから、鑑賞してください)チャルメラ独奏曲で、熱情あふれるメロディーで、生き生きとした大自然のその模様を表している。

詩歌

山東省では歴史上詩人が多くて、中国文学史上で赫々たる名声もある。

李清照
李清照(1084年~1151年頃)は、斉州章丘県明水(今は山東省済南市章丘明水鎮)の出身で、中国古代の極めて優れた女詩人である。抜群的な詞作と非凡な文化業績で今になってもすごく流れている。
文化が盛り、宋詞創作が繁栄になる両宋(南北宋)の時代に李清照は学者の家に生まれた。父の李格非は北宋時代の文章名流である。夫の趙明誠は宋時代の有名な金石学者(鐘鼎や碑などに刻されている古代の文字を研究する)である。李清照は水明山紫の斉魯大地で天真爛漫な幼年時代を送った。結婚してから、夫と楽しくて、幸せな生活をしていた。ちょうど44歳のとき、中国は「靖康の乱」をおこし、金の軍隊も宋の首都汴京を攻め落とした。そのしばらく、趙明誠は病気でなくなって、国破れ家滅ぶ状態になった。このように、不幸と悲痛で不遇な晩年を送った。李清照の一生は、時代の激浪に揉まれて、人の世の常ならざるを経験し尽くして、人情の変わりやすいことをなめていた。
李清照は文学上の成績は、中国古代で女性作家の輝かしい代表である。その名作『淑玉集』は宋の時代から広められてきた。李清照は一番業績を取ったのは詞作であり、「易安体」を創立し、婉約詞派の規範たる人になる。また、彼女が詞についての評論も多くて、見解が高いため、中国文学史上では、系統的な詞論のひとつでもある。


辛棄疾
辛棄疾(1140~1207)は、字として幼安、号して稼軒で、済南の歴城に出身で、南宋の憂国詞人でもあり、有名な抗金英雄でもある。
辛棄疾は、優れた憂国詞人であって、その詞作は豪放で有名であて、中原の雄大の志と民族圧迫を反抗精神を満ちられている。このほか、祖国山川の壮麗をほめたたえる思索も目立たれている。彼の憂国の章句は慷慨で、熱情と民族の咆哮とが詞に凝縮され、強く読者を感動させている。辛棄疾は中国の文学史上に大きな影響があり、北宋の蘇軾と並んで、豪放詞派の巨人である。『稼軒長短句』、『稼軒詞』などが著作として今なお伝えられている。

李清照、辛棄疾の詩?詞作

絵画、彫刻、書法

絵画、彫刻
山東省では、美術も彫刻も長い歴史を持っている。新石器の時代に属している北辛、大汶口、龍山文化層から発掘された陶器や玉、石、骨彫刻品などは、その形の好みで、紋様の生き生きで、造りの精細であることを見たら、しきりに賛嘆されずにはいられない。何千年以来、たくさんの無名のやからである民間芸術者たちは、背世代代伝えていくように、大衆向きな民間武術品を創造していた。それらの美術品は、濃厚である郷土味と黄河?濱海文化の融合されていた特色として、天下によく知られている。商?周時代の青銅彝器(宗廟備え付けの鐘、鼎、樽などの祭器の総称)の造形や図案、文字などは、いずれも黄河流域に当る華夏文化の特色を著しく表現されている。秦?漢の時代から、いっそうきらきらと光輝くようになっている。嘉祥武祠、長清郭氏祠と沂南、藤州などの漢画像石から、泰安、済寧、曲阜などの漢隷碑刻まで、この時期にあたる輝いた模範になる。隋の時代から名家名作が数多く脱出され、その代表おもに展子虔の『遊春図』、張択端の『清明上河図』、崔子忠の『雲中鳥犬図』、高鳳翰の『西亭詞思図』などがある。


書道

       


中国では書道は、伝統的に毛筆で漢字を書く造形芸術に指している。山東省でも書道が長い歴史を持ち、龍山文化のときにある陶文及び殷都の跡から発掘された甲骨文からみると、もう深い趣もある。山東省の書道は大きく次のように5種類に分類できる。

篆書 大篆と小篆の二種類に分類される。一般に、秦の時代の以前にある篆書を大篆または籀篆、その以後のを小篆または秦篆と称する。篆書はてん字彫刻の主な芸術字体である。その造形が非常に古くて、筆筋が円滑であり、古風的で素朴なこともあり、しっかりしていて美しいこともある。山東省はもとから済国と魯国で、文化の根底が厚くて、篆書
に関連する資料も非常に豊富である。秦の時代の篆書彫刻石に「嶧山刻石」、「泰山刻石」、「瑯琊台刻石」、「芝罘刻石」など四つがある。大篆はおもに商?周ないし春秋戦国の銅器銘文がある、この時期の銅器の数がより多くである。

隷書    篆書から移り変わってきた書体である。戦国のじだいから出現し始めた。篆書の長方形構造と曲がっている筆筋を変え、横線を水平に縦線を垂直に書き、筆画緊密性を強調した。右下へ波のようにはらう「波磔」と横筆の「雁尾」という方法も出てきた。山東省では、漢碑がはなはだしく多く保存されていて、全国現有数量の70%以上も占めている。臨沂市の銀雀山の漢墓から発掘された竹簡も隷書隷書を研修するための貴重な資料である。

草書   篆?隷書をはやく書いているうちに変化された書体で、草篆、草隷などがある。あと出現された楷書に比べて、小草と大草(狂草)からなっている。その構造は簡単で、筆筋が切れ目がなく、すらすらと速く書ける。「書は已に尽きるとも、意はとまらず、筆止まると言えども、勢いは窮まらず」といった妙があって、感情を述べる性質が強いである。東晋の時代の王羲之、王献之親子の草書はその優れた代表である。

楷書   正書、真書とも称される。漢の時代からはじめ、南北朝の時代には流行されていて、唐の時代にまさに盛んな時期を迎えた。その特徴はきちんとして、綿密であり、手本性も強いである。また、ほかの書体と同じようにいろいろな芸術的な風格を持っている。唐時代の顔真卿の楷書作品は力強くで雄大な気勢で、歴代にわたる楷書書法の優れた代表となって、後世に大きな影響を与えた。

行書    楷書と草書の中間にあり、それぞれ占めた比率によって、行草と行楷と分かられる。その主な特徴は「非真非草」であるにおかげで、書いてみると非常に便利で、変わりやすいことから、実用性も強い。その筆筋の中にまるで優雅に道をあるいていながら、あたりを見回すと美を流しているようである。魏?晋の時代に一番多く使われている。北宋になると、より歴史的な高度になった。王羲之による『蘭亭序』がその第一の筆跡である。


古代建築
山東省内では、古建築が数多く残されていて、その種類も非常に豊富である。主に、城壁?祠廟?仏道寺?役所?旧居?荘園や軍事?水利施設などがある。また、建築の形や構造から見れば、殿堂?楼閣?亭軒(窓のある廊下)?廊下及び塔?橋?闕(古代宮門外の左右両側にある望楼)?坊(古時功徳者を表彰するため建てられていた屋根のある鳥居のような建築)などがある.このほか、古建築についた石刻?ちょうこく?塑像?彩色絵?瑠璃(うわぐすりで焼いた陶質のもの)など手工芸品がある。この中に、建物全体が木、煉瓦(しき瓦)や石構造であるのほかに、しき瓦と木、煉瓦と石あるいは木構造を竜としている煉瓦、木、石の組み合わせである。その目的としては、旧居?荘園?役所を除いて、主に、神や仏を祭ったり、聖賢を礼拝したり、忠孝節義などを表彰したり、世人を救い有利な事業を興したり、守備防御したりするためである。
山東省の古建築は長い歴史を持っているが、維持修繕のためにより完全に保存されてきた。国内外で大きな影響があるものはだいぶ済寧、泰安、済南一帯に集まっている。長清の孝堂山郭氏祠、嘉祥武宅山の武氏祠、柳埠の四門塔は全体で石構造であり、完璧的な石刻や精緻的な塑像があり、濃厚な文化味が内包している。木構造を主体をするのはおもに
泰安の岱廟と曲阜の孔廟である。この二大宮殿建築群は城?橋?亭?坊などが集まっていて、その立派な配置や建築規模でよく世界に知られている。その高い門坊殿閣など、交差的な屋根や、軸対称の分布及び幾重にも重なり庭園など、中国古代の建築芸術の精粋を反映している。このほか、元明の時代に汶河の水難を修理するため建てられた土罡城堤防や,明の時代の有名な軍用港である蓬莱水城や、清の時代に立てられた栖霞の牟氏荘園などのように、当地の地理特徴によって建てられてたものである。その独特な格式、手近に取材したデザイン、素朴で壮大な造型など、それぞれの建築特色を見せ付けられているのである。

山東の各市
済南市  青島市
淄博市  棗庄市
東営市  煙台市
濰坊市  済寧市
泰安市  日照市
威海市  莱蕪市
臨沂市  徳州市
聊城市  濱州市
菏沢市
山東概況
·山東概要
·行政区画
·自然地理
·歴史文化
more...
フォトニュース
Copyright (C) 2001-2006 dzwww.com. All Rights Reserved