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 山東の旅


手芸品


済南

絹花(絹製の造花)
絹花は京花ともいい、北京天津一帯で作り始められたものである。山東の絹花の最も早い産地は済南であり、済南の花店街の名は、そこに花店が多かったことから名づけられたものである。絹花は軽く薄い絹、純絹、人口絹、クレープの緞子、漆ぬりの絹(葉に用いる)、軟鋼の生糸(枝に用いる)などを原料とし、漂白、のり付け、裁断、染色、成型、組み合わせ(接着)などの工程を経て作成される。品種はその用途により大体花瓶に挿すもの、盆景、花かご、帽子につけるもの、胸や襟につけるもの、壁にかけるもの、式典用のものなどに分けられている。花は自然界の各種の花卉の形態や色彩をまねて作られ、色彩はあざやかで、形は本物そっくりであるという特色を持つ。山東の絹花はずっと主要な輸出品であり、20数カ国と地域に販売されている。

魯繍(山東刺繍)
山東の有名な伝統刺繍として、魯繍は我が国の刺繍工芸史上最も早く記録されている品種の一つである。後漢の王充《論衡》には“斉部世刺繍、恒女無不能(斉では刺繍が盛んであり、できない女の人はいない)”と記載されたことから、少なくとも2000年近い歴史を有し、山東地区の民間で盛んに行われていたことが分かる。魯繍の手繍工芸品は一般的に合わさった“衣服用の糸”を刺繍糸として用いられている点が、他の刺繍と異なるところで、それにより北方の重厚で古風質朴な地方的特色を現している。原料の多くは暗色の花菱紋様の薄い絹や緞子を用いており、刺繍の方法は多様で、平針(布の表と裏の糸の長さが同じようになる縫い方)刺繍から編み、結び、縫い、針など、さらに補い、貼り、縫あわせ、錦組み入れなどの表現手法がある。色は濃く華やかで、対比は強烈で、濃厚な民間習俗を持っている。魯繍の風格は粗放なのを主とし、精密さはその次であり、工芸性、装飾性はきわめて強い。“髪繍”は1966年に試作が成功した魯繍の新工芸である。これは人の頭髪で刺繍をつくり、中国の水墨画を刺繍で表現したもので、風格は優雅で、生き生きとしている。
近年、頭繍は人髪と刺繍糸を結合して刺繍するようになり、その工芸は単なる“線描”から“潤色”へと至り、表現力が非常に豊かになった。その作品は糸のきめの光沢を増し、質感を本物そっくりに表現でき、豪快な中に細心さが見られる。1988年済南の刺繍工場の髪繍作品《竹林七賢図》は見事に中国芸術美術の百花賞の評定で国家級珍品の栄誉称号を獲得した。

面塑(しん粉細工の人形)
俗に“江米人”(もち米で作った人形の意)といい、もち米を主な原料とし、小麦粉、顔料、防腐剤、水を加え調合して蒸した後、刀、はさみ、かんざしなどの簡易な道具と、独特な工芸を利用して、人物、鳥獣、虫、花卉、山川、楼閣などを作り上げた工芸美術品である。山東の面塑は荷沢に始まり、すでに200余年の歴史がある。面塑の技芸が済南に伝わった後に、李俊興らのベテラン職人の努力の下で、済南面塑の独特な風格を形成した。済南の面塑の色彩は対比が鮮明で、手法はきめ細かく念入りであり、指による捻り、揉み、捏ねに、更に刀、かんざし、針による縒り、切り、飾りを加えて、人物の姿を真に迫って生き生きと作り出している。特に中国の時代劇の人物を作り上げるのが最も得意である。現在のところ、面塑製品は串指し式、箱入り式、小型面塑の三種類がある。

木魚石
産地は長清県張夏鎮、木魚石系列の製品。
木魚石の茶具:180-260元/セット
竹節杯:80-120元/個
ステンレス外殻湯飲み:90-120元/個
文房四宝:90-380元/セット
酒具:80-140元/セット
食器:180-320元/セット
販売場所:長清県木魚石集団会社及び張夏木魚石商城などの大型店。もし路上の露店で購入する時は、その品質をよく見極め、熱湯で試験してみて、水が漏れたり取っ手がとれたりした時は買わないように注意すること。

平陰バラ
バラはバラ科の落葉灌木で、その艶やか花と濃厚な香りで人々に愛されている。我が国では昔からバラを観賞花卉として庭園に植えてきた。済南平陰バラは600余年の栽培の歴史がある。清朝《続修平陰県誌》に《平陰竹節詞》があり、中には“隙地生来千万枝,恰如紅豆寄相思。玫瑰花放名如海,正是家家酒熟時。”(空き地に何千何万というバラが植えられ、あたかも紅豆で思いを表すのと同じようである。バラが咲き乱れるころはちょうど家々で酒が熟する時である。”と書かれてあり、清の時代はバラの栽培はすでに盛んになっていたようである。その後、戦火や天災人災のため、平陰が解放された時には、バラの年間生産量はわずか2.5万キログラムに過ぎなかった。
解放後、平陰バラの生産量は年々増加し、1956年には7.5万キログラムに達した。1960年平陰にバラ研究所の成立を機に、バラの生産を大いに推進した。1978年、全県のバラの栽培面積は4000亩に達して、中でも正玫瑰郷の栽培面積が最も大きい。平陰県のバラは花が大きく色が濃く、花弁が厚く香りが濃厚で、品質はひときわ優れていることで有名である。国内外各地のバラと比較すると、出油率は倍ぐらいである。
平陰バラは、観賞価値があるだけではなく、貴重な経済作物でもある。用途は広く、花は酒、糖、ジャム、エッセンスの原料になる。花と根部は漢方薬として、活気、血行をよくする、収斂の効用がある。平陰バラから抽出されたバラオイルは、国家により中国最良のバラオイルに選ばれており、日本、イギリス、フランスなどの10カ国家と地区に販売されている。これまで何回もバラ祭が催され、好評を得て、国内外の多くの観光客が訪れた。

明水香稻(明水の香米)
済南章丘明水鎮は全国的にも有名な米を栽培し、それは“香稻”と呼ばれている。《済南府誌》に“稲は元々この地で栽培されていなかったが、品種改良などの工夫を経て次第に栽培するようになった。その中でも章丘明水の米が最も良い”と記されている。ここの米は半透明でつやがあり、ご飯やお粥にすると、たとえ鍋ぶたをかぶせるとしても、香りがあたりいっぱいに広がり、“一軒の家でご飯を炊くと、十軒の家に香りがする”と言われてきた。そのご飯は口当たりが良く、すがすがしい香りは食欲を増大させ、味わえば味わうほど美味が尽きないので、済南の人々は俗に“香米”と呼んでいる。
歴史上では、種々の条件により制限があったため、生産量はきわめて少なく、非常に貴重なものとなっていた。明?清時代には、朝廷に納める貢品だけで、一般の人々は食べることができなかったと言われており、20世紀の40年代頃には一時絶滅の危機に瀕した。解放後、国家は香稲の研究を非常に重視し、遺伝の実験を行い、広面積且つ高収量の新しい品種の開発に成功した。現在では、市場で自由に買えるようになっている。

明湖のガマの新芽
大明湖のガマの新芽は済南の名物として早くから国内で名が知られている。清の中頃、済南の文士王賢儀はその《筆記》の中で、済南の事情について“済南では四種類の美味しい野菜があるが、夏はガマに菰角……”と述べ、夏のガマの新芽を名物料理の第一にあげている。中華民国の初め《済南快覧》には、“大明湖のガマの新芽は、形は菰に似、味は筍に似ており、湖一面に植えてあって、北部数省の野菜中の珍品である”と記されている。また《山東誌?物産》にはガマの新芽を“ガマの筍”と称しており、済南人の“日常野菜”であると書かれている。
現代の著名な詩人臧克家は、青少年時代済南で学んだが、《中国料理》に寄稿し、済南の忘れ難い食べ物について述べ、特に大明湖のガマの新芽に言及し、“大明湖を見物する観光客はよく湖畔の飲食店で食事をする。飲食店はあまり大きくないが、名物料理がある。これが“蒲菜炒肉”(ガマの新芽の肉炒め)である。”と述べている。臧克家はしみじみと思い起こして、“ガマの新芽の肉炒めを食べたことは、今に至るまで美しい思い出として残っている。郷里の料理について書いていると、心の中に懐かしさが湧き、青少年時代に帰ったような気持ちになる。”と書いている。。
もう一人現代文学の巨匠老舎は、30年代の初めに済南で教鞭をとっており、《大明湖の春》の中で、大明湖の名物料理に対して極めて高い評価を与えている。彼は“湖の中に産出するというのは珍しいのではないだろうが。……食べたら、ただ目で見た景色よりずっと記憶に残るものであろう。それが大明湖のガマの新芽、菰角、レンコンが天下に名を知られる重要な原因ではないだろうか。いずれにせよ、これらは皆水中に産出するのに、いくらか中国南部の風味を帯びている。”と述べている。

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