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 山東の旅


名所紹介


◆泰山

    泰山は中国山東省の中部に長さ500kmにも及ぶ大きな山脈で、東に滄海を威圧し西に大河(黄河)を鎮め、その峰々は地を抜いて天を突き破り、日を捧げる勢いを持ち、中国では最初に世界自然遺産に登録された。

 泰山は東方文化の宝庫であり、大ブン(サンズイヘンに文)口文化と竜山文化の発祥の土地で、中国文明はここら辺りから発祥したようだ。泰山はまた中華民族心理と民族精神の成立に深い関わりを持って居る。泰山が群山の祖、五岳の宗と称えられるのも全く天地真ん中に住むことを求めた古代人の地理に対する認識から出たもので、泰山にたいする崇拝は国家の統一と発展、民族の団結に重大な役割を果たしてきた。このように泰山は民族精神の発揚に、中国歴史文化の凝縮として(郭沫若)、中国伝統文化の精髄を包含したものである。

 中国5名岳とは、泰山を筆頭に華山、衡山、蒿山、恒山を指し示すらしい。それぞれに特徴もあり素晴らしいもののようだが、中国ではなんでも、番号を付けて誇張するような習慣も見受けれるようだが。でも泰山は、その最高峰?玉皇峰がわずか1545mと比較的低いにも関わらず、麓の街、泰安より6666段を越す、階段でほぼ直線的につながっており、数時間(健脚家で5~6時間)でほぼ登り切れるという。中天門(700m)までは、小型バスも通じており、ここから南天門までケーブルも出来ている。ほんの7.5分で南天門まで上れるわけだ。南天門付近の階段は急峻を極め65度に達し、先行者の足先が自分の鼻先に位置するという。登るのはともかく、下りは足がすくみ、大変勇気が居るようだ。南天門から山頂まで4~500段の階段もあるが、途中に道教の寺院もありぶらぶら見学がてら歩けば、快適な散歩道と言うところだ。


    山頂に見られる巨大な建築物ならびに岱廟(東岳廟?泰山行宮)といい、独特の様相を見せている。西天門の手前にある碧霞祠は道教寺院で道家の祖神であるという。ここら辺りからの、南天門に至る直前の一八盤の急峻な階段は特に印象深いものだった。


 唐摩崖は丁度碧霞祠の真上に位置し、岩壁が切り開かれ沢山の碑が見られる。紀泰山銘の碑は唐の玄宗皇帝の御書で、封禅の儀式を行った時の様子が1008文字で記されていた。他にも沢山の碑文がみられたが、どれもこれも現在書家の垂涎の的らしい。僕にとっては猫に小判だった。孔子も「登泰山而小天下」(泰山に登ってみれば、なんと天下は小さいことか良く分かる)と言っているように、何とも言えない雄大なものだ。詩人の杜甫も、泰山は天下一の名山である公言しているようだ。もちろん、今のようなケーブルカーは勿論、整備された階段もない時代、徒歩で登ったので、よけいそのように感じたのだろうが、山の雄大さと高さはあまり関係ないようだ。山々の稜線に、光さすご来光のシーンはいつ見ても、生涯の忘れ得ぬ光景の一つに違いない。ほんとに中国は国土が大きい。どこえいっても、規模の大きさに圧倒され驚かされてしまうようだ。何回と訪れても、新しい感動と感激がある。

 泰山は東方文化の宝庫であり、大ブン(サンズイヘンに文)口文化と竜山文化の発祥の土地で、中国文明はここら辺りから発祥したようだ。泰山はまた中華民族心理と民族精神の成立に深い関わりを持って居る。泰山が群山の祖、五岳の宗と称えられるのも全く天地真ん中に住むことを求めた古代人の地理に対する認識から出たもので、泰山にたいする崇拝は国家の統一と発展、民族の団結に重大な役割を果たしてきた。このように泰山は民族精神の発揚に、中国歴史文化の凝縮として(郭沫若)、中国伝統文化の精髄を包含したものである。

【封禅の儀式】 封禅とは何を意味するのか、判らないが、皇帝が即位したとき、それを知らせるために天地を奉る儀式で、皇帝の権威を誇示するためのもののようである。歴史上では72人の皇帝がここで封禅を行っているようだ。


 岱廟は、南北405m,東西は237mあり総面積は68.265坪に達するという。多年にわたりよく修復されており、全部の建物は左右対称に造られ、入り乱れた中に規律性があり、気勢が雄大であり、かつ華麗である。この中の天キョウ(貝兄)殿は故宮の太和殿と曲阜の孔廟大成殿にならび、中国古代の3大宮殿式建物と呼ばれている程大規模なのだ。これらの、恭しく厳かな、華麗な建物ばかりでなく、歴代朝廷のご光臨、政府高官や知識人の朝拝等により多くの貴重な文物を見ることが出来る。優美な詩章、素朴な石碑、風雪を得た古木等は岱廟の悠久な歴史を刻み込んでいる。漢柏樹(5株のみ現存)は漢の武皇帝が泰山を奉ったとき植えられたと言うから、樹齢2000年を超える勘定になるが、枝葉が生い茂り活気に溢れている、幾度か世の変転を知る古樹に、さすが大きな国の規模の大きさに吃驚する。

 

◆曲阜三孔  

 

    曲阜は山東省中南部で、曾て中国の周、漢の二つの時代の封地で、800年余り魯国の故都でした。中国人の古い祖先黄帝、儒家学説の創始者孔子、発揚者孟子、中国の職人の祖師魯班、著名な愛情演劇“桃花扇”の作者孔尚任等は皆曲阜で生まれました。曲阜には110箇所以上の歴史古跡が現存し、その中で三孔(孔廟、孔府、孔林)は世界遺産です。孔廟と北京の故宮、泰安の岱廟は中国古代三大古建築群になっています。孔府は中国で最も古い貴族の家柄です。孔林は中国で最も永く続いている家族の墓です。魯国の故城は“東方の地下博物館”と呼ばれています。少昊陵は“中国のピラミッド”といわれています。曲阜は中国政府の認定した歴史文化名都市で、優秀観光都市です。1994年孔廟、孔府、孔林はユネスコによって“世界文化と自然遺産リスト”に組み入れられました。曲阜は中国儒家思想の創始者ー孔子の故里で、中国儒学の発祥地、さらには世界儒学の発祥地で“東方の聖都”と呼ばれています。

    孔子は、世界の歴史上最も偉大な哲学者の一人で、彼の創立した儒家文化は中国の伝統文化の核心となっていて、現在でも中国人の品格特性などの方面に重要な影響をおよぼしています。彼の思想は中国に影響を及ぼしただけでなく国外にも影響を及ぼしました。早くは漢、唐の時代から当時の朝鮮半島、日本、ベトナムなどに伝わりました。韓国は地縁的に中国と隣り合わせているため、儒学の巨大な影響をうけました。儒家思想は人を中心とし現実を重視し、韓国の伝統的精神と共通点をもっています。儒学は韓国人の価値観、生活習慣、法律習慣などにたいしておろそかにできない作用をはたしてきました。韓国の学問は儒教の基礎の上に絶え間なく発展し、最終的に独特の実学思想を生み出しました。今に至るも依然として伝承されている宋廟祭礼、成均館釈典大祭などの活動を通して儒家文化の韓国の伝統文化に対する影響を窺い知ることができます。


    曲阜は中国儒学乃至は世界儒学の発祥地で町全体に濃厚な儒学文化の味わいが充満しています。あなたが曲阜の町に入るとすぐ町全体に三階以上の建物がないことに気が付くでしょう。孔子の邸宅―孔府の高さが二階建ての建物の高さに及ばないため、孔子の儒学の中の地位と曲阜の町の文化的雰囲気を保持するために、曲阜の町には、街中の全ての建物は孔府の高さを超えてはならないという規定があるのです。

 

    孔廟は孔子の故居を廟としたもので、皇宮の規格で建てられ、中国三大古建築群の一つで、世界建築史上で重要な地位を占めています。面積は三百畝で、勢いが雄大で、配置が厳密で、前後九層の大院は、それぞれ特色があります。その中で大成殿と奎文閣が主要な建築です。大成殿は孔廟の主体となる建築で、建物全体金色や緑色がきらびやかで、気勢が盛んで、その前廊の10本の大理石の柱にはそれぞれ2匹の珠と戯れる飛龍が彫られています。古代中国では、龍は天を象徴し、皇帝を象徴し、皇宮以外の場所では建築に龍の図案を使うことは許されませんでしたが、孔廟に精巧な飛龍の彫り物が有るということは、孔子の中国での地位が最高であったということを物語っています。孔子の学説の主流の思想が当時の社会の進歩に有利であり、国家を治めるのに有利であったために、彼の思想が統治者の大きな評価を得、特に君主の許しを得て、このような華麗で堂々とした邸宅を建てることができたのです。孔子は中国の歴史上の第一人者であり、またただ一人の人です。大成殿の前面に“杏檀”というあずまやがあります。これは孔子が晩年講義をした場所です。孔廟内には13の石碑を収めたあずまやと、53の巨碑と、800以上の碑刻があり、書道を愛する人たちは孔廟内で碑刻の書の心を揺るがす力を心ゆくまで味わうことができます。


    孔府は孔子の子孫が住んでいる所です。規模は広大で、楼閣庁堂は計463間、歴史上最大の地主の荘園です。孔府は中国の歴史上引き続いている時間の最も長い封建貴族の荘園で、また中国封建社会の役所と一体となった典型的建築です。“天下第一の家”と呼ばれています。

    孔林は孔子とその家族の専用墓地で、世界最大の家族墓地です。10万余りの墓と歴代の石儀が85対、墓碑が400、喬木42000株余、2400年以上ずっと林内の樹を植え、保護し続けて来、松柏は青々と生い茂り、古木は聳え立ち、大きな園林を形成しています。魯の哀公十六年(紀元前479年)孔子がなくなったあと、その弟子が孔子をここに埋葬しました。孔子の子孫の附葬者の絶えざる増加により、林の面積もだんだん拡大し、明代の晩期には1800畝あまり、康煕二十三年(1684年)には林の面積は2941,9畝に達しました。孔林の現在の塀の周囲の長さは5591メートル、総面積は183,33ヘクタールです。このように規模が雄大で、勢いが広大な家族墓地は、ただ孔子だけにできることです。墓地のそれぞれの墓碑ごとに、皆物語、伝説があり、聞く人をうっとりさせ、大きく視野を広げてくれます。


    文物や古跡のほかに、孔府料理も国内外の旅行者を曲阜に引き寄せる重要な要因になっています。孔府料理は色、香、味、全てが揃っているだけでなく、各料理に独自の様式とおもしろい物語、伝説があり、さらに皇帝が直接名付けた料理もあります。孔府宴は中国各地の調理技術を吸収して、中国歴史上の各家各派の宴席の長所を融合させて徐々に形成されてきました。曲阜を観光し、孔府料理を食べることは、味を楽しむだけにとどまらず、中国の伝統文化を深く体験することにもなります。2千多年来中国各朝各代の帝王将相、文人学者が次々と此処に拝謁、知識を求めにやってきました。最近でも絶える事なく海外の例えば、香港、韓国、日本などからの旅行者が大きな興味を持って曲阜に来て“三孔”(孔府、孔廟、孔林)の盛んな姿を仰ぎ見、孔子の博大で奥深い思想の文化遺産を訪ねています。曲阜は古き東方文化を探索する場所であるとともに、修学旅行の理想の場所となっています。 

 

◆梁山泊

  さて、ここで「梁山泊」の名前について一言。梁山泊の泊と言えば、泊(とまり)、つまり船着場のことであり、「水滸伝」の水滸と言えば、水の辺(ほとり)を指した言葉です。つまり梁山のふもと、船の出入りする泊(とまり)に結集した英雄たちをそう呼称したと思われます。しかし、現在この梁山の四辺は荒涼たる岩山が連なり、湖さえ見えません。


    それは真に、梁山泊の好漢たちが活躍した11世紀、北宋時代を振り返ってみる必要があります。その当時、黄河は現在とは比較にならぬ程、水量が豊かで、且つ、たびたび氾濫決壊を繰り返していたという記実が残されています。その満々たる水位が梁山一帯にまで及んでいたことは想像に難くありません。

 

    梁山は黄河南岸に連なる標高約200m前後の峻険な岩山です。現在、この山上を目指して、松柏が茂る険しい山道の石段を登っていくと、途中に断金亭という東屋があります。ここはかの「水滸伝」の英雄たちが替天行動、天に替えて道を行なう為、悪漢達から奪還した金銀を断ち切って、民に分配した所と言われています。


  更に吹き出る汗を拭いながら、石段を登りきったところに、虎頭峰と呼ばれる岩山の頂に忠義堂を観ることができます。中央の建物には、梁山泊の頭目、宋江と慮俊義、呉用の像、そして、その両脇の建物には、梁山泊36名の主な英雄たちの像が置かれています。一見建物や立像が真新しいのは、西暦1966年、中国を吹き荒れた文化大革命によって、ことごとく、その遺跡が破壊されてしまい、最近になってやっと再建し直した為とのことです。

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